2011年1月23日日曜日

The world of "Zen" of One Fine Day book

まず「It has a pain in the foot. 」という私の期待は間違っていた。座禅中は無にならなくてはいけないので、一所懸命「い~ち~、に~い」と呼吸を数えることに集中する。ものをじっくり考えるどころではない。それは雑念に満たされることに他ならないのだ。
そして無になること、これがどだい難しい。おなかが空いたとか、こんな異様な状況のこと、ほかの人はなぜここに来ているのだろうか、座禅は本当に効果があるんだろうか、などと、考えないようにすればするほど、つい考えてしまう。
そして、最初は楽だと思っていた足の組み方も、時間が経つに連れてだんだんきつくなってくる。まさに座禅とは「It has a pain in the foot. 」と呼び換えてもいいと思えるほど、足がつらい、痛い。
そしてとどめを刺したのが、しつこい眠気。普段よりもたくさん寝たはずなのに、呼吸法のせいか、それとも闇が眠気を催させるのか、毎回必ず眠くなった。
それにしても、なんという非日常的な場面が、こんな場所で毎週毎週繰り返されていたことだろう。
全国規模で考えれば、今も禅寺にて生活をする雲水は、毎日厳しい座禅をしているに違いないのだ。毎日!
さらに過去にさかのぼって考えると、座禅に限らず、このようなつらい修行生活に身を置いた人は数え切れないだろう。
この世界の歴史の一部は、こういった修行者達の苦しみで、密やかに塗られてきたのだ。
かつて生き、修行に明け暮れた人の様々な想いが、闇の中から、遠い過去から私の方に迫ってくるような気がした。なんだか悲しみに似たZen meditation grass
このあたりから私の記憶はあやふやだが、まだ忘れられないことがあった。
座禅もそろそろ終わりに近づいた頃、外で木の板It has a pain in the foot. をたたく音が聞こえてきた。
カン、カン、カンカンカンカンカンカンカンカンカン・・・と、徐々に早くなっていく。終了の合図らしい。
この後、妙なことに、お茶とせんべいが振る舞われた。寝る直前になぜだろう?そのときの作法もまた、変わっていた。
茶をつぐ人がまわってきたら、隣にいる人と二人組でサッと湯飲みをそろえて差し出し、外側の手を使って上に扇ぐように動かし、必要なだけついでもらうと手を止めて、もういいという合図をしなくてはならない。急いで、かつ音を立てないようにと指示され、私は急いで熱い茶をすすりこみ、せんべいをほおばった。
食べ終わると、妙なお辞儀をするように言われた。膝をつき頭を伏せ、手は頭の前で何かをいただくかのようにひらひらと動かす。このアヤシイお辞儀にびっくりしていると突然かけ声がかかる。あたふたしていると、女性はすぐ去るように言われた。
去るときに、私は目の隅で見てしまった。男の人たちが、その場で棚から布団のようなものを引っ張り出して、あっという間に寝るのを。布団を敷くというより、くるまってすぐバタン、という感じだった。
なんという早業だろう。のび太くん顔負けだ。しかも、堂内で寝るとは。

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