2011年1月19日水曜日

In Japan, it is an examination season now.

 Parents pray to the Shinto shrine aiming at passing from the kindergarten to the university. 範となるはずの公の教育現場は、実にさまざまな問題を抱えています。しかも、中学生が関わる犯罪や事件、また自殺なども増えており、その程度も極めて深刻です。
 
 なぜ、公立中学校がこんな状況になってExamination。いろいろなことが言われますが、その理由の一つは、とりわけ教育現場で「戦後民主主義」の風潮が過度に高められたことにあると考えます。人権、自由、平等といった思想が、教育現場に無条件に取り入れられ、それらが学校や先生の権威を貶め、気概を奪ってしまったという面はあるのではないでしょうか。
 
 まあ、そういった問題はさておき、人気の高いExaminationでは、それほど深刻な問題は見受けられません。波風の立たないところがいいのかという論議はありそうですが、親の気持ちとして、なるべく問題の少ないところに我が子を託したいというのは当然でしょう。私立学校の場合、目標を明確に定め、独自のカリキュラムによる教育を行っていますから、中学卒業時の公立中学校との格差は、きわめて大きく広がります。高校卒業までの6年間を、大学へのアプローチ期間と考えれば、中学卒業時は、まさに中間点、折り返し地点です。この時点で、もう進路をあきらめざるを得ないとすれば、事は重大です。
 
 公立中学校に導入された「Examination」の弊害も、ここにきてやっと問題視され始めたようです。「ゆとり」という美しい言葉のもと、授業時間が大幅に削減された挙句、私立との格差はますます広がってしまいました。
 
 公立学校の週休二日制の導入に際しても、文部科学省の岸田副大臣は、「学力は低下しない。ゆとりはたるみではない。指導要領では学習内容を厳選したが、発展学習などを上乗せできる」と発言していましたが、この言葉をただちに信じてはならないと思います。履修項目のレベルを下げたり減らしたりするのを「厳選」といい、その穴埋めを「発展」というふうに、もっともらしい言葉を使って糊塗しているだけのような気がします。そもそも「ゆとり教育」の「ゆとり」というのも、単なる言葉の言い換えでしょう。その裏にあるのは、現実には「ぬるま湯」であり「堕落」に他なりません。

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