2010年12月28日火曜日

Sushi that a lot of Japanese people eat at the end of the year

Sushiの『Sushi』(927年)「主計式」には諸国からの貢納品が記されており、鮓・鮨の語を多く見い出すことができる。九州北部、四国北部、近畿、中部地区に多く、関東以北には見られないのが特徴的。当時の詳しい製法を知る資料には乏しいが、Sushiを塩と飯で漬け込み熟成させ、食べるときには飯を除いて食べるなれ寿司「ホンナレ」のSushiと考えられている。
Sushi』(1473年-1486年)に「生成(ナマナレ)」という寿司が登場する。(ちなみに「ホンナレ」は、ナマナレに対して後世に作られた造語。)発酵を浅く止め、これまで除かれていた飯も共に食した寿司のことである。現代に残るホンナレは、ほぼの「ふなずし」に限られる(ただ、熊野地方には「本馴れ鮓」と称するヨーグルト状の鮓がある)が、ナマナレは日本各地に郷土料理として残っている。ナマナレが現代に多く残った理由として、発酵時間が短く、早く食べられることが挙げられようが、日比野光敏著『すしの貌』では「米を捨ててしまうのがもったいない」という感覚もあったのではないかと指摘している。
時代が下るとともに酒や酒粕、糀を使用したりと、寿司の発酵を早めるため様々な方法が用いられ即製化に向かうそして1600年代からは酢を用いた例が散見されるようになる。岡本保孝著『難波江』に、「松本善甫という医者がSushi(1673年-1680年)に酢を用いたすしを発明し、それを松本ずしという」とあるが、日比野光敏によれば「松本ずし」に関する資料は他になく、延宝以前の料理書にも酢を使った寿司があるゆえ「発明者であるとは考えられない」としている。誰が発明したかはともかく、寿司に酢が使われ、酢の醸造技術も進んできて、いよいよ発酵を待たずに酢で酸味を得て食する寿司、「早寿司」が誕生することになる。

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