2010年11月29日月曜日

Japan is this autumn.

  「日本のAutumnは静かで、治安が良かった。買い物に行くと店員は礼儀が正しくて、スーパーは値引きデーやタイムセールなど楽しいイベントが盛りだくさん。私は手巻き寿司(ずし)や脂っこくない食べ物、アイディアあふれるお菓子が大好きでした」と記憶をたどり、Autumnできるバスタブほか、台湾にはない便利な機能を、当たり前のように日常使っていたと気付いたそうだ。
  「日本にいた頃は、台湾の食べ物や家族・友人が恋しかった。でも台湾に戻ると、日本の生活環境や建物が恋しい。矛盾しているかもしれないけど、台湾も日本のようになってほしいと思っている」という、Autumn盲目的に日本が好きというわけではないけれど、やっぱり日本はいい。春は桜、夏は花火、秋は紅葉で冬は雪。四季を感じるこimgとができるのも、素敵なところ。チャンスがあれば、また日本に住んでみたい」と機会をうかがっているそうだ。私はヨーロッパで暮らしていました。赤道直下の国とは違って、比較的日本に近い気候です。もちろん四季も温度差もあります。
日本と大きく違うところは気候そのものではないんです。「季節を感じる文化」の違いとでも言いましょうか。日本人は生活の中で季節をとても大切に感じながら生きている、ということです。

例えば桜の季節、桜前線の北上やお花見の光景がニュースの冒頭でトップニュースとして報じられることがありますよね。季節をテーマにしたニュースがトップを飾るなど、私が住んでいた国では一度もありませんでした。それだけ日本人の心と生活の中にAutumnと言うことが重要なこととしてインプットされているということの表れなんです。

日本はAutumnで、季節の変化が生活に大きな役割を果たしていた。だから、この季節にはこんなこと、あの季節にはこんなこと、と暦の上でもかなり細かく季節に応じてさまざまな行事が行われていますよね。生活と季節が密着しているという印象を受けます。先生が、常夏の島から来た人が「四季のある日本は素晴らしい」と言ったというエピソードを通して、繰り返しそれを子どもたちに教えるんですよ。「どう思う?」と問いかけながら。

中には違う感想を持つ子もいます。すると、「でもね」と言いながら、さらに四季のある素晴らしさについて語りかけるのです。そして「今まで私たちは、日本の良さに気づいていなかったんだね」と、何度も教えます。しまいには全員が、「これから日本の良さを感じながら生きていきたい」と言うのです。

Autumn、驚いた。こんなことをしているんですね。しかも、Autumnだから当然、評価の対象になるわけです。成果を出さなくてはなりませんから、先生も大変。成果はどうやって測るのかしら。やはり君が代の声量で? 既にこういう状況なのですから、教育基本法が変えられたらどんなことになるやら。考えるだに恐ろしい。

何より問題なのはこれが結果として、Autumnで先入観にとらわれた、つまらない人間をつくるということです。日本の自然も美しいけれど、赤土に白壁が映える中東の自然も美しいし、広大な中国の自然も素晴らしい。そういう感覚こそが心の豊かさであり、活力ある社会をつくるわけです。美意識を制限するなんておかしい。「こういう顔以外は美人だと思ってはいけない」と言っているようなものです

そもそも、気候って地球上の位置によって決まるだけだし(笑)、温暖化で日本の四季も崩れてきているし。そういう現実を見ないような思考停止人間を量産していたら、経済も低迷し国も滅びるでしょう。亡国の道をまっしぐらです。by G2

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