2010年10月25日月曜日

私の母の妹

私は今87歳の痴呆の母を介護していますが、母は5人姉妹の長女です。妹が4人いるのですが、二人目の妹は何年か前に亡くなっています。後は全部どうにか生きています。どうにかと言うのは病気の妹もいるからです。一番下の妹は私の叔母ですが75歳です。私とは12歳違いますが若い時は姉妹と思われていました。昔はそれくらい歳の離れた姉妹は何ともなかったのです。母は嫁に行ったのでは無く、父をお婿さんに貰った人ですから、この叔母は実家である今私が住んでいる家から嫁ぎました。私も又4人姉妹の長女で夫はお婿さんだからです。私は嫁ではありませんし、私が生まれた時、叔母は中学生で私のお守りをしたそうです。父に学業が大切だから学校へ行くように言われても、私のお守りを理由に勉強が嫌いなので学校は時々休んだそうです。だからあまり物を知りませんが、そんな事は何の差し障りも無く今まで生きて来ました。叔母を見ていると学校でいろいろな物を習うけど、それが毎日の生活にどれほど重要な役目をしているのだろうと不思議な気もします。近くに住んでいて、夫が東京に出稼ぎに行って家には嫁に行かない40歳過ぎの娘との二人暮しですから自身はとても自由です。家事はいっさい娘がしますので、ただご飯を食べて病院に行っていればいいのです。その病院も整形外科です。70歳頃まで食品を作る工場で働きましたので、足や腕が痛いのだそうです。70歳にもなれば、何もしなかった人でも何処か痛くなります。畑も無い街中に住んでいますので、青森市郊外の畑や田んぼに囲まれた実家である私の家には三日にあげず来ます。知っている人も多く、又私からいろいろな物を貰っていけるからです。私がここの嫁だったらこうは行かないでしょうが、産まれた時から知っている姪なので、何の遠慮もありません。自分の妹みたいなものです。私は夫と山菜を山から採って来て、皆に上げますので、野菜やその外何でも頂きます。特に昔山へ山菜を採りに行った事のあるお年寄りは喜んで、家庭菜園で出来た野菜を山菜と交換します。だから私の家の物置にある大きな冷蔵庫や冷凍庫には沢山の物が入っています。3人家族の私達だけでは消費出来ませんので、叔母は来るたび、リュック一杯に背負ったり、自転車に積んだりして持って帰ります。さすがの叔母の娘もいくら実家でも親も亡くなって、姉である私の母もこんな状態なのだから、少しは遠慮したら?と言うそうです。でも叔母が言うには実家はいつまでも実家であり、心のよりどころであるし、家を継いでいるのは自分が育てた姪なので本当に自分は幸せだそうで、何だかんだと言う私も叔母を見ればホッとするのです。

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